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タレントに転身する坪井慶介「レノファは可能性のあるチーム。山口の生活は満喫できた」(後編)

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2019年のシーズンをもって18年間のプロサッカー選手の現役生活に終止符を打った坪井慶介。前編では、幼少のころやプロ入りして13年間を過ごした浦和、初の移籍となった湘南、そして日本代表での活動を振り返ってもらった。(前編はこちら

後編は、レノファ山口への移籍、そして2年間を過ごした山口での生活、タレントに転身する今後の活動などについて掲載する。(インタビュアー=田辺久豊、インタビュー日=11月29日)

レノファ山口に加入した2018シーズンの練習での様子

――湘南の3年間を経てレノファ山口に来られましたが、レノファから声が掛かった時の気持ちっていうのは?

ありがたかったですよ。もう38歳で、39歳になる年ですからね。サッカー選手としてはもうベテランじゃないですか。にもかかわらず、戦力としてピッチに立つことを目指して欲しいということだったので。それに応えるためには非常に厳しいハードル、努力もしないといけないと思いましたけど、そこにやりがいを感じたので。

――レノファの練習メニューはどうでしたか?きつい内容だったですか

非常にハードな練習メニューだとは思います。ただ、やたらめったら走るとかそういうことはなくて、ボールを使う練習でも意外とハードな動きを求められたり、強度を求められたりすることが多かったですね。

――いい練習?

若い選手にとっても、僕みたいなベテランの選手にとってもいい練習だと思います。

――レノファでの2年間で、いい思い出と苦い思い出を一つずつあげるとしたら

わかりにくい話になるかもしれないですけど、いい思い出は引退を決断できたことじゃないですかね。山口の地で、自分で辞める、引退するっていう決意を出来たっていうことが、僕にとっては幸せなことだと思っているので、それが1番大きないい思い出ですね。

――苦い思い出はどうですか

苦い思い出は、この試合のこれがっていうのはあまりなくて。やっぱりJ1に絡めるという位置に2年間通して結局行けなかったっていうのは非常に悔しいし、やっぱりそれを目指していましたし。僕は2年間しかいなかったですけど、もっと長くレノファにいる選手たちがいて、苦しい時代を知っている選手たちと一緒に何とかJ1への道を現実的に目指す位置で勝負をしたかったな、させたかったなとは思います。


ホーム最終戦は久しぶりにベンチ入りしたが出場機会は訪れなかった(2019年11月16日、第41節・モンテディオ山形戦) 写真提供/レノファ山口

――これまでの現役生活で、特に刺激を受けたり、影響を受けたりした監督さんは

プロ1年目の時のオフト監督の影響は大きかったですね、オフトとやった2年間は僕にとってすごく大きかった。非常に厳しい人で、規律とかそういうのも厳しかったです。チンタラやってたらえらい勢いで怒られたりもしました。

――規律を求める監督だったんですか?

それはあったと思います。外国人監督ってどっちかですよね、規律重視か自由尊重みたいな。

――霜田監督はどういう監督だったですか

その両方を上手く使い分けられるというか、バランスをとれる人だと思います。チームとしてやっていく上で規律はもちろん必要。でもそれでガチガチにはしたくないっていう感じだと思います。

――そういう監督さんも今までいましたか

曺さんもそうだったと思います。厳しさが前面に出る感じがあるかもしれないですけど、それは勝つため、チームを強くするためで、やっぱり団体競技なのでチームとしてやるべきことが決まってないと。

――監督によって全然違いましたか?求められることや練習の内容なんかも?

そこは大変でしたけど、でもなんか慣れましたね。まあ、どんな監督が来ても、基本的に自分のやるべきことは変わらないですし、自分に何を求められるかっていうのは、長くやっていく中で常に考えていたので。

――引退セレモニーのことをお聞きします。感動的でしたね

(小野)伸二や平川(忠亮)が来たり、ビデオメッセージをいただいたり、ビデオを作ってもらったり、全部知らなかったので。そういうのを含めてちょっと感極まってしまった。

――あれだけ感極まるのは、これまであまりなかったことですか

泣かないでちゃんと整然と挨拶するつもりだったんですけど、こりゃダメだわって、感極まっちゃうわって。それこそスタジアム全体のああいう雰囲気を作ってくれたサポーターもそうですし、真剣なまなざしで聞いてくれた選手たちもそうですし、そういう姿を見ていたら、もう感情がコントロールできなくなりました。本当にいいセレモニーをさせてもらったと思っています。

――セレモニーを終えてお子さんの反応はどうでしたか

わりと普通でしたよ。その夜は一緒に過ごしたんですけど、セレモニーの動画がYouTubeかTwitterかどこかに上がってたらしくて、それをずっと見てましたね。僕のスピーチのところから何回も。まだ見てんの?もういいよって(笑)。パパ良かったよとか、そういうことは一切言わないですし、感動したのかどうかわからないですけど。

――素晴らしいスピーチでした。伝えたかったことは全て言えたんじゃないですか

まずはいろんな人に感謝を伝えたいっていうのがあって。18年間もプロで出来たので。それが一つと、あとは、プロ選手として僕は去っていくので、今いる若い選手や、若い選手だけじゃなくてレノファで言えば(佐藤)健太郎もいますし、もう同じ選手という立場でアドバイスも話もできなくなるので、伝えておかないといけないなって。引退したってことはもう同じ立場ではなくなるので。


引退セレモニーに平川忠亮さん、小野伸二さんがサプライズで登場した。写真提供/レノファ山口

――山口での生活について聞きたいんですが、山口は初めてだったんですか

初めてですね。試合では大学の時に来たみたいでした。レノファがまだ教員団だったころ。それと、湘南に在籍していた時に維新に1回来たぐらいです。

――旅行とかで来たこともなかった

ないですね。

――単身赴任も初めてだったんですか

はい。初めてでした。

――初めての単身赴任の生活はどうでした?

大学の時も一人暮らしはしていましたし、家事全般も基本的には何でもやるので、僕一人での生活っていうことに関しては苦ではなかったです。寂しさくらいですね、苦だったのは。家族とずっと離れて生活するのは寂しかったですね。サッカーをやる、サッカーに集中するっていうことに関しては、自分のペースで練習前のケアや練習後のケアも含めてすべてに時間を使えたので良かったとは思いますけど。

――2年間山口で生活をされてみてどうでしたか?困ったこととか、ほかの地域には無いようなこととか

困ったことはほとんどないですね。温泉の話をよくしますけど、ほんとに温泉が多いし、僕はお風呂と水風呂に入る交代浴をいつもするんですけど、結構どこに行ってもある。しかも温泉で交代浴ができるじゃないですか。いいなあと思って、そこに関してはほんとに満喫です。すごく満喫してます。

――湘南にも温泉は多いんじゃないですか

箱根にわりと近いですけど、こんなに日帰りで入れる温泉はないんじゃないですかね。こっちってホテルとか旅館でも日帰り客を結構どこも受け入れてる。道の駅にも温泉があったりして、いやあ良かったですね。

――今後、例えば自分の後輩が山口に来るってなった時に「山口ってどんなところ?」って聞かれたらなんて答えます?

ざっくり言っちゃえば「いいとこだよ、田舎だけど」って。何がいいかって聞かれたら「来てみろ」って(笑)。「一回来てみろ、そしたらわかるから」って感じです。来てみて、風呂入って、飯食って、街をちょっと見て、街の人と触れ合ったりしたらわかるからって。そんな感じですね。

――「レノファってどう?」って聞かれたら?

会社も含めてってことで言えば、僕はまだまだ可能性のあるチームだと思っています。現場もそうですし、フロントもそうですし、すごく楽しみなチームだと思います。そういう意味で僕はやりがいを感じていましたし、もちろん難しいこともあると思うんですけど、地道な努力を続けていけば、もっともっといい方向に行くんじゃないかと思いますし、可能性をすごく感じています。

――2年間レノファに在籍してみて、いいなって思った部分や、逆にもっとこうしたらいいんじゃないかって感じた部分はありますか

いいなっていう部分は、いろんな人に助けられてチームが成り立っているってことが直にわかりやすいことは非常にいいなと思います。それと、山口県内のいろんな所に行ってもレノファのことを知ってる人って本当に多いんですよ。僕、温泉で各地に行くんでわかるんです。萩や阿武の温泉に入ってるおじいちゃんから「あんた見たことある、レノファの選手か?」って声を掛けられて、「え、知ってるんですか?」みたいな(笑)。

――関心のある人は多いんでしょうね。

もっと観客が増えていいと僕は思ってます。もちろんチームが結果を出す、選手としても結果を出すことも一つなんですけど、サッカーを取り巻く環境というか、山口県全体でもっと何かできるんじゃないのかなってことを温泉巡りながら思うんですよね。僕はサッカーしかやってこなかった人間なので、具体的にどうしろって言われたらわからないですけど、僕があちこち足を運んでいいなら運びますけどね。

――それいいですね、今後のタレント活動の一つとして。それはそうと、今日も練習されていましたけど、やっぱりサッカーが好きなんですね

今日も楽しかったです。引退するの止めようかなって(笑)。


写真提供/レノファ山口

――そんな坪井さんが引退を決意されて、サッカーを離れてタレントに転身されるっていうのはちょっと意外っていうか

まあ、ああいう風に今後はタレントって発表をしましたけど、あれはあれで面白いかなと思って。今まで、そんな空気さえ全くなかった人間が、えっ?なに?みたいな。そういう意図もあってやったんですけど、基本的にはメディア関係の仕事で、何でもやっていくっていう気持ちでいます。はっきり言って僕なんか社会人1年目じゃないですか。何ができるのか未知だと思いますし。僕を使う会社の方々も坪井は何ができるの?っていう目で見られて当然だし、それに応えていくにはどんな仕事でも真摯に全力で取り組む姿を見せていくことが大事だと思っています。

――すぐに指導者になろうとは思わなかったのですか

なかったですね、僕は。指導ってすごく大変だと思うんですよ。サッカー選手をやるのと同じくらいのエネルギーが必要だと思う。現役を終えるとなった時に、じゃあこのままのエネルギーを注げるかっていうと、ちょっとその自信はなかったです。なので、そういう気持ちでその道に行くことはできないなって。

――指導者っていうのも考えてはみた?

そうですね。でも、先のことはわからないですよ。やっぱり現場がいい、指導者をやりたいっていう情熱が沸いてきたら、僕は指導者のライセンスを何も持ってないので、そういう時が来たらライセンスをとりに行きたいと思ってます。

――選手によっては現役時代に指導者のライセンスをとる選手もいますが、そういう意味では坪井さんは次の準備をほとんどしてこなかったっていう感じですか

ライセンスを取ろうかなって思った時期もありましたけど、その度に、いや、なんか違う、俺は違うって。現役の時からセカンドキャリアは指導者になりたいっていう選手もいますし、それはそれでいいと思うんですよ。でもやっぱり俺はなんか違うって思ってたんで。

――今後は何でもありっていう意味で「タレント」っていう言い方をされたと思うんですけど、1年後、2年後はどんなビジョンを思い描いていますか?

今はわからないですね。ただ、せっかくサッカーというものをやってきて、自分の身体、サッカーを通して観客の皆さんや、テレビで見てる皆さんを感動させるとか、頑張ってる姿とかを伝える世界にいたと思っているので、そういう意味ではそれと通ずるものは多少なりともあるのかなとは思ってます。自分の言葉で何かを伝えなきゃいけない。それは面白いことなのか、悲しいことなのか、いろいろあるとは思うんですけど、それをメディアという媒体を通して伝えなきゃいけないということに関しては、通ずるものがあると思うので、それを1年後、2年後とよりできるようになっていきたいなと思ってます。

――今後についてはお子さんから何か言われたりしたことあります?

子どもの方こそ、パパ何やるんだろうって思ってる(笑)。

――山口のメディアからもオファーがあれば

せっかくご縁があってこんなに楽しく過ごせたので、いろんな仕事がいただけたらうれしいですね。

――自分で仕事をとって来たりすることもしなくちゃいけなくなる

そうですよ、ほんとにこの先どうなるかわからない。だから楽しみですよね。

――18年間現役をされて、サッカーのスタイル、生活面も含めて何かをガラッと変えたことってあったんですか

ほとんどないですね。練習前にやるメニューとか、ケアとか、基本的なサイクルはほとんど変わってないです。生活のサイクルとかも、浦和の時から。浦和はホームの試合でも前日からホテルに泊まってみんなで行動するんですけど、湘南はそれがなかったので僕一人でホテルに泊まってました。

――山口でもそうされていたみたいですね

そうです。そういうスタイルもずっと変えてないです。それは家族がいてもいなくても一緒です。試合前は泊まるっていうのは。

――選手たちもみんな言ってましたけど、ずっと同じことをやり続ける凄さっていうか

しょうがないんですよ、僕はすごいスーパーな才能があったわけじゃないので。スーパースターと呼ばれる人たちはやっぱりピッチに立つだけで空気を変えられる。試合を決定づける仕事ができる。やっぱりそういうものを持ってる。僕みたいな選手がそれに対抗するには、やり続けることの強みを出していくしかないと思っていたので。

――いまだにまだ努力し続けているっていう感じですよね

どこかで努力を止めてしまったら、もうそこで終わりですから。次のステージで何があるかわからない。

――走って逃げる役が来るかもしれないですよね

来たらやらなきゃいけないですよ、全力で。

――最後に、ファン・サポーターに向けてのメッセージを

18年間、本当にたくさんの声援と応援をいただいて、それが原動力になっていたことは間違いないです。そのおかげで18年間プレーすることが出来た、諦めずに走ることが出来たと思っていますので、ありがとう以外の言葉は見つからないですね。そこにすべて集約されていると僕は思っているので、ほんとにその気持ちでいっぱいです。

坪井慶介-TSUBOI KEISUKE-

2002(平成14)年に浦和レッズに入団してプロのキャリアをスタート。2006(平成18)年には日本代表としてドイツW杯に出場し、日本代表として国際Aマッチ40試合に出場。2015(平成27)年に湘南ベルマーレに移籍し、2018(平成30)年からレノファ山口でプレーした。

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