今季からレノファ山口に加入した山瀬功治選手が、Jリーグ23年連続ゴール、通算600試合出場を達成。2000(平成12)年にコンサドーレ札幌に加入後、これまで所属した8クラブの全てでゴールを決め続け、そして史上4人目となるJリーグ通算600試合出場も果たした。
コンスタントに結果を出し続けられた理由、サッカーとの向き合い方、3月10日に出版された自身初の著書「ゴールへの道は自分自身で切り拓くものだ」に込めた思いなどを聞いた。
(インタビュアー=田辺久豊、インタビュー日=2022年3月2日)
2022年2月27日、第2節・ブラウブリッツ秋田戦でJリーグ23年連続となるゴールを決めた 写真提供/レノファ山口
―まずはJ2第2節・秋田戦での“Jリーグ23年連続ゴール”、おめでとうございます。
ありがとうございます。
――あらためて『Jリーグ23年連続ゴール』を達成した気持ちを聞かせてもらえますか?
達成したい目標の一つではあったので、それをこれだけ早いタイミングで達成できたことはすごくうれしいですし、ホッとしたというのが正直な気持ちではあります。ただ、この連続ゴールがすべてではなくて、メインはやっぱりチームの結果です。それは、試合の勝利やシーズンが終わったときの順位。まずはそこにフォーカスすることが大事だと思います。それに、この“23年連続ゴール”が最終到達点ではなくて、あくまでも通過点。この先も試合は続いていくので、1点目をこのタイミングで取れたのであれば、次は2点目、3点目を目指さないといけません。
――奥様と祝杯をあげている様子をSNSで拝見しましたが、結構飲んだのですか?
帰宅したら手渡されたので(笑)。量はそうでもないですが、普通にいただきました。あれ(SNSにアップされていたもの)は日本酒ですね。知り合いにいただいた『東洋美人』という山口の地酒で乾杯しました。
――お酒はご夫婦ともにいけるクチですか?
休みの前日だけと、僕は飲めるタイミングが限られていますが、お酒は二人とも好きなので、飲めるときはよく一緒に飲みますね。
――お酒を飲むタイミング以外にも、決めているルールはたくさんありますか?
細かく言えばいろいろあります。基本的には、サッカーをする上で影響があるかどうか。何を選択するにしても、その基準で判断しています。例えば寝る時間で言えば、起きるのがだいたい6時前なので、最低でも7時間くらいは睡眠時間をとりたいと考えて逆算しますし、就寝時に胃の中にものを残しておきたくないので、夕食は17時半くらいには摂るようにしているとか...。言い出したらキリがないぐらいありますね。
――自分の体と向き合いながら、そういったルールを決めてこられたのでしょうか?
年齢によって体の反応は変わります。それに自分の中の知識も増えていく。自分にとって合うもの、合わないものもありますから、試しながらフィーリングがいいことはそのまま続けたり、そうでないことは止めたり...。我慢がストレスになってもよくないし、あまり縛られるのは好きじゃないので、『ルール』と表現してがんじがらめにならないようにしています。例えばウチの食事で揚げ物は出ないですけど、ではまったく食べないかと言えば、そんなことはありません。外食したときにたまに食べることもありますし、1回食べたぐらいで大きく何かが変わることでもないですから、本当に食べたいと思ったときには口にします。でも、食べ過ぎたら影響が出るのが分かっているので、基本的には食べないというような感じで。メリハリというか、体への反応の善し悪しと、メンタルに対する善し悪しは分けて考えるようにしています。
チーム全体練習後、いつも欠かさずにジョギングをしている
――そのメンタルについて。いつも冷静に見えるのですが、日常生活では怒るような感情の起伏はありますか?
ありますよ。プライベートでは基本的に、感情の起伏は激しいほうだと思います。他人といるときはそうではないですが、家にいるときは日ごろ皆さんにお見せしている顔とは別だと思います。
――それは、自分自身に向けて感情的になるということですか?
それもそうですし、嫁さんに対してもありますけどね。外で会う人は、大きく分ければ他人じゃないですか。他人の思考や行動はこちらでコントロールできないので、その感情に振り回されてもいいことはないと思うのと、よくも悪くも、人は人、自分は自分と割り切っているところがあります。頼られたり、誰かの力になってあげたいと思うことはありますが、基本的には自分のことは自分でどうにかするしかないという考えです。それで、感情の起伏が少ないと見られがちなのかもしれないですね。でも、自分自身に対しては感情的だと思うし、それが身内だと自分の思いや感覚、価値観などを相手に求めてしまうところがあるので...。だから身内に対してはまたちょっと違うとは思います。
――Jリーグ通算600試合出場という偉大な記録の達成もあと1試合に迫ってきましたが、そのことについてはどうですか?
600試合も達成したい数字上の目標の一つではありますが、それもやっぱり通過点。僕のサッカー人生がそこで終わるわけではありません。何年連続ゴールになったか、何試合に出場したかというのは、引退したタイミングでの結果でしかないですからね。そこに向けてできるだけ数字を積み上げていきたいという気持ちですね。
――愛媛から山口に来られてまだ2カ月ぐらいですけど、山口の生活はどうですか?
本格的に山口を満喫っていうわけにはまだいかないですけど、引越し自体もつい最近終わったのでまだその後の片付けだとか、買い足さなきゃいけないものだとかっていうのもあって、ちょっとバタバタしてる最中ではあるんですけど、でもすごく住みやすいなと思いながら今のところは生活しています。
――開幕戦から2試合連続ホームで戦ってみて、山口のファン・サポーターの雰囲気やサッカーの熱についてはどう感じましたか?
決して人数は多くはなかったですけど、レノファ山口というチームに対する思いや、サッカーに対する思いの強さはすごく感じました。まだ多くを見られているわけではないのですが、それでも街中を少し歩く中でもたくさんのレノファのポスターやレノファに関する文字を見かけます。街全体としても無関心ではないというのは感じているので、あとはその思いのエネルギーをどれだけ大きなものにできるか。多くの人をもっと巻き込んでいけるかというところなのかなと思いますが、その土台に関してはすごくしっかりとしていると感じました。
――ホームでの今季初勝利後には、ファン・サポーターの前でダンスを披露されましたね。
あれぐらいはやりますよ、片足ずつ上げるぐらいなら(笑)。あれ以上のリズムに乗ったダンスをしろと言われたら無理ですけど(笑)。あれは『やまぐち一番』と言うんですよね。福岡のときは『博多一本締め』というものがありました。その土地で違いがあって面白いなと思いながら、ゴール裏でそうしたことをやってきました。
ゴールを決めて勝利した試合後の「やまぐち一番」 写真提供/レノファ山口
――最後に、10日に発売されるご自身の書籍について、込めた思いを聞かせてください。
やっぱり本を出すというのは簡単なことではないと思います。誰しも出せるものではないし、それなりの知名度や実績も必要だと思っていましたから、書籍というのは僕の中であまりリアリティーがありませんでした。日本代表にちょっと選ばれただけで、ただ長く現役をやっている程度ですから。でも今回お話をいただいて、それが現実味を帯びてきたときは、せっかくなので自分の軌跡や考え方を書きたいという思いになりました。もしかすると、人間の本能なのかもしれないですよね、自分の証みたいなものを残したいというのは。そういう意味でも、それを残せる機会を与えていただけたことがすごくうれしかったですし、最大限のことをやろうと思って取り組みました。だからと言って、何かすごく特別なものを本にできるわけではなくて。何ができるかを考えたときに、自分はこういう形でサッカー人生を過ごしてきたというのをそのまま出すしかできないなと。サッカーをしている人たち、もしくはほかの職業の人でもいいし、学生さんでもいいですけど、普通に生活をする中で、もしかしたらこの部分はすごく参考になるなとか、これだったら自分でもできそうだからこんな考え方をしてみようかなとなるところも、多少はあるのではないかなと思います。自分が体験してきたことを時系列でなぞりながら、そういうものを散りばめていきました。この本を読んでみて、単純に面白かったっという感想をいただければうれしいですが、ちょっとタメになったなとか、参考になったなと思ってもらえればうれしいです。
――どんな人にこの本を読んでもらいたいですか?
何か困難や壁にぶち当たっていて、なかなかそれを打開するのに苦労しているという人でしょうか。シンプルに『山瀬ってどんなサッカー人生を送ってきたんだろう』と興味をもってもらえた人でもいいと思っています。そうですね...、僕というサッカー選手をまったく知らない人に読んでもらえるとうれしいかもしれません。僕という存在を知らない人に読んでもらったときに、どういう反応があるのかはすごく興味があります。
写真提供/レノファ山口
>>山瀬功治選手のインタビューは、サッカー専門新聞 ELGOLAZO(エル・ゴラッソ)のサブスク版「エルゴラ+」で全文を読むことができます。
https://elgolazo.jp/
山瀬功治-KOJI YAMASE-
1981年9月22日生まれ。札幌→浦和→横浜FM→川崎F→京都→福岡→愛媛を経て、2022年からレノファ山口FCに加入。背番号は33番。2001年にはワールドユース(当時)に出場し、同年Jリーグ新人王に選出される。両膝の前十字靭帯断裂や4度の契約満了など、多くの困難から這い上がってきた。日本代表としてAマッチ13試合出場5得点。