11月7日に今季限りで引退することを発表したレノファ山口FCの元日本代表・坪井慶介選手(40)が8日、取材対応した。
日本代表として国際Aマッチ40試合に出場した坪井選手。2002(平成14)年に浦和レッズに入団してプロのキャリアをスタートし、2006(平成18)年には日本代表としてドイツワールドカップに出場。2015(平成27)年に湘南ベルマーレに移籍し、2018(平成30)年から山口でプレー。現役生活18年に終止符を打つことを決断した。
引退を発表した今の心境については「簡単な決意ではなかったので寂しい気持ちもあるけど、自分の中で残りをやりきろうという気持ちでいる」と話し、決意の理由を「一つや二つではない。大きな理由を一つ上げるとしたら自分の中で、プレーのスピードや反応、キレが、トレーニングや試合で自分で許せないと思う回数が増えてきたのが一番の理由」と話した。
これまで一番に印象に残っているシーンについては「本当にたくさんの試合に出させてもらって、それぞれの試合が自分の中で貴重なものだと思っているので、一つだけを挙げるのはかなり難しいが、分かりやすいもので言えば浦和レッズで始めてタイトルを取ったナビスコカップの決勝戦。その時の傷がまだ顔に残っているし、それが一番印象に残っている。レノファに来てからは、最初にホームで出場した試合。山口の選手としてホームの維新に初めて立った試合は、決意を持ってここに来ていたので自分の中で高ぶるもの、うれしいものがあった」と振り返った。
引退を告げたときの家族の反応は「奥さんの反応についてはここでは伏せておきます(笑)。下の子ども2人は残念がってました、非常に。上の子はもう中2ということもあって、クールな感じでした(笑)」という。
数少なくなった同世代の選手に向けては「毎年、こうやって同世代の選手が減っていく。重荷になってしまうとは思うけど、やめていった人たちの思いを背負って頑張ってほしい。彼らの重荷にします(笑)」とエールを送った。
今後については「プロの選手としてここにいるので、残り3試合全て出場するという気持ちで毎日の練習をしっかりと取り組んでいきたい。ここでの活動が終わってからいろんなことが明確になっていくが、今のところは指導者の道に進む予定はない。サッカーの現場から離れて、メディア関係の方に進んでいこうと思っている。ゼロからのスタート、なんでもやっていきたいという気持ちでいる」と話した。
これまでに応援してくれたサポーターには「本当に僕の力になってくれた存在だった。いろんな場面があったが、特に苦しいときに変わらない声援を送ってくれたこと。厳しい叱咤(しった)を受ける時もあったが、その一つ一つ全てに、チームに対する愛情、僕に対する愛情を常に感じていた。僕の力の原動力の一つだった」と感謝した。
レノファ山口の霜田正浩監督は「2年間、若い選手たちのためにいろいろとやってくれた。僕がここに来るときに若い選手で編成するなかで、やっぱり本物が1人欲しいと。本物を誰にするかっていうところで、ちゃんとJ1の優勝経験があるとか、日本代表でワールドカップに出たことがあるとか、選手としてトップを知ってる人間っていうのが若い選手にいい影響を与える。コーチとして来たわけではなく、選手として試合に出続けることに、僕もそういう目で見たし、彼もそのつもりで頑張ってくれた。結果として彼がもたらしてくれたものは、目に見えるもの、見えないものも含めてたくさんある」と話した。
坪井選手との2年間の中で印象に残っていることについて「人間的に素晴らしい部分がある。アスリートとして、プレーヤーとして試合に出たいって気持ちを昨年はすごく感じた。けがを隠しながら、足が痛いのを無理しながらやってる姿にはちょっと感動した部分があります」と振り返った。
昨季から坪井選手とプレーした三幸秀稔主将は「寂しい。まだやれると思うし、頼りになる存在。もっと続けてほしいし、まだまだ一緒にやりたい気持ちはすごくある。常に全力で、サッカーに対して常に真剣だった姿を近くで見せてくれた。2年間一緒にプレーできて僕にとっては幸せな時間だった」と、レジェンドの引退を惜しんだ。
11月16日にホームスタジアム「維新みらいふスタジアム」で開催されるモンテディオ山形戦(13時キックオフ)の試合終了後、引退セレモニーが行われる。